2007.10.27 Saturday
06:13 | posted by
rikoukei
やる気がでないことが問題ではないだろうか。
やはり実行が大事ではないだろうか。なにかを実行をするにはやる気が出る必要がある。
なんとなく流されて生きているとやる気がでない。
しかし、なんとなく流されて生きていく方が楽である。やる気がでないのを楽しむのも、その人の出世の意味によっては出世に役立つだろう。
精神勝利法と同じく、何が出世なのかは人により異なると思われる。
2007.10.07 Sunday
20:31 | posted by
rikoukei
精神勝利法は、出世に役に立つとも、出世を妨げるともいえるだろう。
精神勝利法とは、阿Q正伝に詳しい。阿Qは精神勝利法を使って精神的には勝利者になったが、現実的には死刑になった。
精神勝利法は、出世とは何かという根本的な問いを投げかけている。
どんなことがあっても自分を勝利者と考えれば、精神的な勝利となる。
技術者が窓際になったとしよう。窓際の方が楽でよいと考えれば精神的に勝利できる。技術者の同級生が政治家になったとしよう。政治家なんかより技術者の方が地位が高いと考えれば精神的に勝利できる。
このようにしていけば、精神的には勝利でき、精神的な出世ができるだろう。技術者がすべて精神勝利法を用いれば、技術者の精神的な地位は高くなるだろう。しかし、精神勝利法は、現実的には技術者の地位の低下を招く危険が高いだろう。
魯迅は、阿Qが精神勝利法を用いることを批判した。しかし、精神勝利法を捨てることは精神的な地位低下を招いてしまう。
出世との関係では、精神的な出世と、現実の出世のいずれを重視するかを個々人が選択しなければならないだろう。現実の出世を目指す場合には、精神勝利法を使わないことがプラスになると思われる。