理系の出世加速ブログ at 理工系.com

理系の出世の加速に役立つ情報を提供することを目指します。

技術者倫理と出世

技術者倫理は出世との関係で論じられることは少ないだろう。

出世の概念を、世の中に出ること、すなわち世の中のためになることをすることと考えると、技術者倫理は出世に直結するということができるだろう。

技術者倫理を考えない方がむしろ出世につながるという考え方もあろう。しかし、それは表面的な考え方ではないだろうか。そのような考え方で出世をした人は、出世をしたという実感が得られるだろうか。

技術者倫理を守っている技術者は、技術者であることに誇りを高く持つことができる。これが精神的な出世なのではないだろうか。

技術者倫理という意識を強く持つことは、技術者の精神的な地位を高め、技術者の出世につながるだろう。
技術者、研究者 | comments (0) | -

理系と出世の異なった視点に向けて

謹賀新年。昨年は、理系の出世加速ブログという新しいコンセプトのブログを作った年となった。昨年の読者には感謝いたしたい。

脂ぎった出世の話というのはあまりしないで、一般とは少し異なった視点からの記事を載せていくというコンセプトを続けてきた。

理系と出世という観点から、少し変わった観点の記事を載せて、理系の地位向上に役立てるというコンセプトは、風変わりな異端ブログかもしれない。

科学技術の発展によって世界に貢献するという観点が、理系の地位向上には強く見られるのではないかと思われる。

出世についても、通俗的な出世の概念とは一線を画し、科学技術の発展によって世界に貢献するという観点から考えていくことも重要と思われる。

また、理系個人にとって、心理的な出世という側面の議論も必要だろう。この意味でも、通俗的な出世とは違う観点からの検討が必要だろう。
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フォンノイマン(ジョン・フォン・ノイマン)と徳川家康

フォンノイマン(ジョン・フォン・ノイマン)と徳川家康のいずれが頭が良いかを考えることも役に立つのではないだろうか。

理系的IQの最高峰は、フォンノイマン(数学者)かもしれないと思う。これに対し、文系的な社会的IQの最高峰は、日本では徳川家康ではないかと思う。

フォンノイマンと徳川家康のいずれが優秀かは次元が異なるので難しい。
しかし、理系の人は、フォンノイマンの方が徳川家康より頭が良いと思ってしまいがちなのではないだろうか。

たしかにIQはフォンノイマンの方が高いと推測される。しかし、徳川家康のような社会的IQを過小評価するのは間違っているだろう。

IQが高いのは物理、数学等の専攻者であるという意見もあるようだが、
このような考え方を鵜呑みにしてはならないと思う。IQが測っているのは一部の能力であり、社会的知性(社会的IQ)は測っていないからである。

政界、官界のトップは文系のことが多い。徳川家康は、政界の最高レベルまで出世した。しかし、徳川家康は日本の科学技術の進歩を遅らせ、フォンノイマンは、現在のコンピュータの基礎を作り、世界の科学技術の進展に大きく貢献した。

300年の太平の世の基礎を作った功績は徳川家康の方が大きいかもしれない。しかし、科学技術の進歩の観点からはフォンノイマンの人類への貢献の方が大きいと思う。

理系は、科学技術の進歩を実現する社会にするために、IQだけではなく、社会的IQに着目しなければならないだろう。他人と連帯をして分裂をしないという特性も社会的IQの一つであろう。

社会への関心が低ければ社会的IQの低下を招いてしまうだろう。
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やる気がでないこと

やる気がでないことが問題ではないだろうか。

やはり実行が大事ではないだろうか。なにかを実行をするにはやる気が出る必要がある。

なんとなく流されて生きているとやる気がでない。

しかし、なんとなく流されて生きていく方が楽である。やる気がでないのを楽しむのも、その人の出世の意味によっては出世に役立つだろう。

精神勝利法と同じく、何が出世なのかは人により異なると思われる。
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精神勝利法と出世

精神勝利法は、出世に役に立つとも、出世を妨げるともいえるだろう。

精神勝利法とは、阿Q正伝に詳しい。阿Qは精神勝利法を使って精神的には勝利者になったが、現実的には死刑になった。

精神勝利法は、出世とは何かという根本的な問いを投げかけている。

どんなことがあっても自分を勝利者と考えれば、精神的な勝利となる。

技術者が窓際になったとしよう。窓際の方が楽でよいと考えれば精神的に勝利できる。技術者の同級生が政治家になったとしよう。政治家なんかより技術者の方が地位が高いと考えれば精神的に勝利できる。

このようにしていけば、精神的には勝利でき、精神的な出世ができるだろう。技術者がすべて精神勝利法を用いれば、技術者の精神的な地位は高くなるだろう。しかし、精神勝利法は、現実的には技術者の地位の低下を招く危険が高いだろう。

魯迅は、阿Qが精神勝利法を用いることを批判した。しかし、精神勝利法を捨てることは精神的な地位低下を招いてしまう。

出世との関係では、精神的な出世と、現実の出世のいずれを重視するかを個々人が選択しなければならないだろう。現実の出世を目指す場合には、精神勝利法を使わないことがプラスになると思われる。
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批評より実行

批評よりも実行が大事ではないだろうか。

仮に、あるおじさんが一流のプロ野球選手のバッティングを批評していたとする。おじさんは、酒を飲みながら「あの選手のバッティングはここが悪いんだよ」としたり顔で批評するかもしれない。

しかし、実際に実行してみれば、おじさんが一流のプロ野球選手よりも上ということはないだろう。言うは易く行なうは難しではないだろうか。
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自分のことばかりを考えるのは出世を妨げる

自分のことばかりを考えて、自分さえよければよいという考えのみを追求し、とうとう最後には歴史上の偉人レベルにまで出世した人というのは考えがたい。

自分のことばかりを考えて出世をしようとした人がいれば、後世の人は、その人は出世はしても、人類に富をもたらしていないので、歴史上の偉人とまではいえないと考えるだろう。

よって、少なくともかなり上のレベルに出世するためには、自分のことばかりを考えて、自分さえよければよいという考え方ではだめであろう。

それなのに、自分のことばかりを考える人が多いのはなぜだろうか。人物の器が小さければ、自分の利益に汲々としてしまうだろう。

もちろん、自分のことばかりを考える人でも、出世をする可能性もあるかもしれない。しかし、それは本当の出世ではないだろう。10年か20年規模の時間での出世かもしれないが、100年、200年規模の出世ではありえない。

本当の出世は、自分のことばかりではなく、社会に莫大な富をもたらすことによってしか得られないだろう。

これは、歴史上の偉人が、みな社会に莫大な富(経済的、文化的、精神的など)をもたらしたことにより偉人となっていることから明らかであろう。

理系は、熱心に開発研究に打ち込むことにより、社会に莫大な富をもたらす大きな可能性がある。

これは、自分のことばかりを考えるというより、研究対象のことを熱心に考えた結果、客観性、普遍性のある価値を生み出したということであろう。そのことにより、社会に莫大な富を生み出したのである。

この意味で、理系の技術者、研究者には、会社での出世とは別の大きな可能性が残されているといえるだろう。
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人命救助のような普遍的な価値を追求すること

人によって何を出世というかは難しい。単純にある組織の中での地位が上がることを出世と捉える人も多いだろう。

しかし、出世とは人のためになることをいうのではないだろうか。人のためにならない出世は、その組織限りのもの、ないしその場限りのものになってしまうかもしれない。

人命を救うことは、普遍的な意味での出世になるだろう。医者であれば、患者の命を救うこと、救急隊員であれば人命を救助することは、立派な出世であるということができるだろう。

理系は、医者や救急隊員でなくても、多くの人命を救助する可能性を持っている。

理系の地位向上による人命救助

技術者、研究者が、多くの人命を救助する技術や研究をすることにより、単なる一組織を超えて、普遍的な価値を生み出すことができるだろう。

そのような技術や研究が認められれば、一組織を超えた真の出世をすることができるであろう。

組織の中のことだけではなく、普遍的な価値を追求することを考えることが、ある意味での出世に役立つかもしれない。
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技術者、研究者の処世術としての賞の獲得

優れた技術者、研究者でも、賞などを獲得しないと、処世術に長けた人が評価しないことがありうる。

処世術に長けた人が、本当は優れた技術者、研究者を、社会の中で評価しないのは問題だろう。技術者、研究者が賞などを獲得した途端に、処世術に長けた人が扱いを大きく変えることもありうる。

このように、技術者、研究者のための賞を作ることは、優れた技術者、研究者が、処世術に長けた人から評価されるために、重要となる。

その意味でも、多くの賞を創設することは、技術者、研究者の地位向上のために必要である。年収1億円1万人計画はその一例である。

優れた技術者、研究者は、賞を獲得したり、論文を書いたり、特許を出したり、学位をとったり、資格を取得したりという行為を面倒くさく思うことがあるだろう。

そんな活動をしなくとも、よい研究、よい技術さえあれば良いと思ってしまうかもしれない。

しかし、処世術に長けた人は、そういう技術者、研究者を評価しないことがありうる。本来は、よい研究、よい技術さえあれば良いのだろうが、身にふりかかる火の粉は払わなければならないだろう。

賞の獲得、論文の出版、特許の出願、学位取得、資格取得などの、世俗的な評価基準にもある程度迎合していくことが、出世につながるのではないだろうか?

もっとも、本来は、その人の研究や技術を、周りの人がきちんと評価できることが理想なのであろう。
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現実から目を背けてしまうこと

理系は現実から目を背けにくいというイメージが一般にはあるかもしれない。理系の科学性、論理性からである。

しかし、理系にも現実から目を背ける人はいる。現実から目を背けたいという誘惑は大きいので、注意をしていないと、理系の科学性、論理性は、現実から目を背けないことに役に立たないかもしれない。

理系は現実から目を背けてしまうことがある。現実逃避は、甘美なことであり、誘惑が大きい。しかし、現実逃避からは何も生まれない。

現実から目を背けたいという誘惑は大きいものがある。理系の科学性、論理力が試されている。

現実に向き合って一歩一歩進んでいく必要があるだろう。
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